Entrenador de fútbolsala

フットサルの指導者をしています。フットサルについて思うこと、個人的見解を書いています。

たたかう姿勢って?

フットサル日本代表前監督のミゲルが昨日離日されましたね。

 
ミゲルが成し遂げた功績は今後も色褪せることはありませんが、彼に代わる人材が今のところ中々思いつかないのが残念なところ。
海外には優秀な指導者がいますが、それを日本に連れて来れるだけの力がJFAにあるだろうか…。
指導者ライセンスに関しても、まだまだ改善点は多いものの、このままサッカーのように飽和状態にならないことを願います。

 

と、いうか。
 
ミゲルに出会って大きく指導者人生が変わった自分としては、この7年間で学んできたことを目の前の選手たちに適切に伝えていくことに強い熱意を持っています。
そんなすぐに日本を変えれるわけではないし、そんな力もないですが、自分に出来ることをコツコツとやっていくしかないかなと思っています。
 
厚切りジェイソンは芸人としてだけではなく、会社役員もされているので、客観的な目でしっかりと批評が出来る人ではないかと、ここ最近小さく感じています。

 

で、たたかう姿勢。

「戦う」のか「闘う」のか。
まずここを履き違えている人が多いのではないかな、と。
 
対人スポーツであるサッカーもフットサルも、自分は「闘う」ことだと思っています。
なので、フットボールには「闘争心」が必要なのだと。
ただ、相手に勝ちたいという気持ちがあっても、それは相手も同じこと。
そこから自らを奮い立たせて持てる力の全てを出して相手とぶつかりあわせるようにするのが「闘争心」ではないか、と。
だから選手には「闘争心」の重要性を説いています。
その「闘争心」をデフォルトで持てていることを前提として、「戦術」や「戦略」が成り立つのだと。
 
それでも勝ったり負けたりするのがフットサルであり、フットボール
負けたことで選手を責めるのは非常にナンセンス。
 
お互いに持てる力を出した上でも、少しの運で勝者と敗者に分かれてしまうスポーツであるからこそ、非常に残酷であり、熱狂的であり、スペクタクルになるのではないかと思います。
 
そして、「闘争心の有無」=「気持ちの優劣」ではないことをしっかりと理解する必要があります。
 
今自分が指導している選手はいわゆるSNS世代で、なんでもすぐに情報が手に入るからなのか、競技に対する姿勢や熱意が、パッと見、伝わってこない。
以前まではどうやったら競技に対する「熱さ」が出てくるのだろうかと頭を悩ませたこともありましたが、ある時に選手の心の奥底には「フットサルを上手くなりたい、試合に勝利したい」という想いが強くあることを感じることが出来した。
ただ、そこに相手がいないからか、感情の表出に難があることに気づきました。
 
モチベーションの維持には外的要因と内的要因がありますが、外的要因が全くなく、内的要因だけで自分を奮い立たせることは非常に困難なこと。
もちろん、内的要因だけで自分の闘争心を上げることが出来ることに越したことはないですが。
 
ちょっとしたきっかけで選手の闘争心に火がつく。
そのきっかけを作ってあげるのが指導者ではないかと。
 
選手の心に炎を灯せる、そんな指導者でありたい。